ID理論と高等教育実践

「ID理論を応用した事例でうまくいっているものを紹介してもらえませんか?」

先日とある会合で、IDがいかに素晴らしいかという講演をした直後にフロアから寄せられた質問である。実は、この質問に答えるのはなかなか厄介である。どうもID理論やモデルを使うと、あたかもそれが万能薬のように、どんな病気でも治ってしまうようなマジックを期待されている節があるからだ。

「ID理論はあなたの教育実践の問題点を捉えなおして、解決の糸口を探るための枠組みを提案するものです。実際の問題解決にはID専門家がそのケースに応じた解決策を試しながら実行していく技が必要ですが、何かお困りのことがあったら相談に応じます。」

この答えはどうも納得してもらえるものではない。「能書きはともかくとして実例を紹介して欲しい」というニーズへの答えにはなっていないからだ。ID第一原理が言うところの「Not tell me, but show me」に反しているのだから、お茶を濁した答え、と取られても致し方ない。もともと講演の中に、こういう理論がある、だけではなく、こういう理論をこんな感じで使ったらこんなに素晴らしくなった、という事例が入っていないのが問題なのである。改善の余地あり、ということがこのフロアからの質問で明らかになったと受け止めなければならない。

この種の質問へのもう一つの答えとして最近ようやく使えるようになったと思うのは、「オンライン大学院の事例なら熊本大学にあります」というものだ。ID専門家である(しかもしばしば第一人者と呼ばれる)鈴木が、こんなに恵まれた環境で作ってきた教育プログラムが「ID理論を応用した事例でうまくいっているもの」と呼べないとすれば、それは困る。ID専門家の信憑性を疑われることになるからだ。そんな思いを込めて、なかなか紆余曲折はあるものの、「与えられた条件の下での最大限の結果」を出すように努力してきた様子を、まだ少し早いな、と思いつつも請われてまとめた論文がある。ここには、作り始めたばかりの本専攻をID的な視点で紹介しようとする意図が読み取れる。まずは、この論文をクリティカルに読むことによって、IDへの理解を深めよう。ついでに、「もっとこんな点に注意してやったら良いのではないか」「こんな別のやり方もあるのではないか」という提案がもらえて、それで本専攻における教育がより良くなっていく契機になったら、それも嬉しいです。

教授システム学研究総論の出だしは、理論の紹介ではなく、事例の紹介から始めたい。そう思ったのは、「Not tell me, but show me」を実行したかったからだ。ということで、この事例の中に、どのようなIDの考え方が盛り込まれているかに注意して、読んでください。

指定論文

  • 北村士朗・鈴木克明・中野裕司・宇佐川毅・大森不二雄・入口紀男・喜多敏博・江川良裕・高橋幸・根本淳子・松葉龍一・右田雅裕 (2007)
    「eラーニング専門家養成のためのeラーニング大学院における質保証への取組:熊本大学大学院教授システム学専攻の事例」
    『メディア教育研究』第3巻2号(特集:e-Learning における高等教育の質保証への取組み) 25-35
    http://www.code.ouj.ac.jp/media/pdf3-2-6/No.6-04tokusyuu03.pdf

参考情報

  • 大森不二雄(編著)(2008)『IT時代の教育プロ養成戦略:日本初のeラーニング専門家養成ネット大学院の挑戦』東信堂
  • 鈴木克明・根本淳子(2011)「教育設計についての三つの第一原理の誕生をめぐって[解説]」 教育システム情報学会誌、28(2)、168-176(最終原稿へのリンク
  • 平野秋一郎(2008)
    熊本大学大学院「教授システム学専攻」― 日本初のeラーニングによるeラーニングの専門家養成大学院 ―,連載「大学eラーニングの今」第1回

※上記の指定論文以外の「メディア教育研究」特集招待論文は、下記のページにPDFファイルへのリンク付のリストがあります。
http://www.code.ouj.ac.jp/media/

最終更新日時: 2020年 10月 30日(金曜日) 14:16