M2のKです。
よろしくお願いいたします。
Kさん
とても共感できる内容と、SECIモデルを語らずして論じることのできない事を実感しております。
理論分析が苦手なので自分自身が実践的な立場で行動するのですが、それでも知識、理論、モデルが無ければ何も始まらないと感じております。
専門職の教育に関わっているのですが、日々、これからは〇〇だ・・・とか聞くたびに、温故知新、議論はよいが否定はしないという姿勢を、何故持てない?と、平行線の議論にため息をつくのです。
でも、実はとてもシンプルなものと考えているのですが、どう表現すればよいのか、そこが実践の立場と、また実感します。
T
投稿拝見しました。
私は、どうも「基礎」⇒「応用」の流れで学ぶのがしっくりくるようです。
まずは、先輩に言われたとおりにやってみよ。理由は分からなくてもよい。とにかく数をこなせ。いまに、その意味が分かってくるからだ。といわれると、作業のコツがわからず、手間取ってしまいます。なぜこれをやるのか、理論の基礎が分かっていたら、話を聞くときに分かりやすいのに…。と思ってしまいます。
たしかに、社会構成主義的に学ぶというのは、実際の経験や前の経験との関連の中に新しい知識を埋め込んでいくやり方で、その場合の理解度は高く、実践度は高いと思います。
しかし、デューイも言ってみましたが、経験というのは、実際の生活の中で手に取るように経験したもののみならず、昨日、教室で学んだ教科書の知識を得たというのも立派な経験であると言うことです。
できるたけ大枠で、正確なマトリックスたりうる、経験と呼ばれるものがあると、社会構成主義的にも、新しい知識を的確にスポッとはめ込みやすいのかなと思います。それには、個別具体的な経験よりも、教科書的な学び、つまり基礎的な学びによるマトリックス、スキーマなのかなと思ってしまいます。このように考えていくと、「基礎から応用へ順繰りに」というもは、効率的な社会構成主義的学びになるのかなと思ったり、考えが行ったり来たりします。
もちろん、「基礎からスタートして応用へ」という考え方に、ちょっと待てよとストップを掛けて熟考することは大切だと思います。これこそ、アカデミックなものの見方がだと思います。
二者択一的にどちらかを取るというスタンスは、それ自体が専門家らしからぬ判断なのかもしれないですね。ただ、実際には、中庸を取るというのが一番難しいように思え、それこそが、専門家ならではの技能、バランス感覚なのかもしれないと思います。