学習のねらい

 【3ブロック】では、知識創造・組織学習をめぐる概念と方法論を取り上げます。まず、【第6回 組織変革と学習(1):知識創造論】では、経営学における「知識創造論」が、人材育成に対して提起する問題について考察を進めます。

 1990年代以降、いわゆる「情報社会論」の興隆とともに、経営学においても企業競争力の源泉としての“情報”や“知識”に対する関心が高まりを見せてきました。今日、知識の共有や新たな知識の創造を促し、それらを経営に活かしていく方法に関する研究分野は「ナレッジ・マネジメント」と呼ばれています。

 ナレッジ・マネジメントと呼ばれる研究分野においては、当初、知識の共有・創造におけるテクノロジーの役割が主なテーマとなっており、いわゆる“グループウエア”の開発や運用方法に関する研究が進められてきました(ウエンガーほか,2002)。その後、組織の中でイノベーティブな知識が創造されていくプロセスやメカニズムへと研究の関心がシフトしていく中で、研究者と実務家の双方から注目を集めた理論が、野中郁次郎を中心とした研究者グループの提唱した「知識創造論」だと言えるでしょう。(例えば、野中,1990,1992;野中・竹内,1996)

 経営と知識をめぐる一連の議論の中で、野中ら(野中,1990,1992;野中・竹内,1996)は、知識創造プロセスに関するモデルや概念を提唱していますが、その特徴は、マニュアルやプログラムとして明示化された知識(形式知)だけでなく、いわゆる“暗黙知”(ポラニー,1980)に注目している点にあります。「知識創造論」は、経営学の分野に“暗黙知”という概念を新たに導入し、限られた文脈に依存した“経験的知識”、特定の個人・場面に規定される“事例的知識”、一義的な命題に収斂しない“一人称の語り”といった実践家のもつ多様な形態の「知」について、その経営的な意義や組織的な活用の可能性を明らかにしたことで、高く評価されてきました。

 一方、「知識創造論」は、人材育成という経営活動に対して、きわめて重大な問題を提起しています。第一の問題として、経営活動における“暗黙知”の重要性を深く認識したとしても、企業内教育において、暗黙知の創造をどのように支援すればいいのでしょうか。おそらく、明示化されていない実践的な「知」に対しては、知識伝授型の教育は効果的とは言えないでしょう。残念ながら、1990年代に展開されてきたナレッジ・マネジメント研究は、人材育成担当者が抱えるこの問題に、あまり有効な手立てを提示してはいません。事実、奥出(2003)は、メディア環境デザイン論の立場から、従来のナレッジ・マネジメント研究が、「新たな暗黙知の創造支援」ではなく、「暗黙知の明示化」を志向している点を問題視しています。

 また、「知識創造論」は、実務教育における「アカデミックに体系立てられた知識(形式知)」の意義と位置づけに関する問題も提起することになります。経営活動における“暗黙知”の重要性が広く認識されていく中、アカデミックな知識(形式知)を修得することの実務的な意義に対する疑問も芽生えてきます。つまり、暗黙知の重要性に関する議論は、経営実務における形式知の意義や役割に関する議論と表裏一体の関係にあるということです。

 このような状況を踏まえ、【第6回 組織変革と学習(1):知識創造論】では、「知識創造論」を通じて見えてくる“実務家教育の課題”について考察を進めます。特に、経営実務教育における“アカデミックな知識(形式知)”の意義や役割に焦点をあて、今日の専門家教育のあり方について考察を進める。これが今回の学習のねらいです。

最終更新日時: 2021年 06月 11日(金曜日) 15:52