学習のねらい

【第7回 組織変革と学習(2):組織学習論】では、経営学における「組織学習論」の課題と可能性について、「実践共同体」(Wenger, 1998; ウェンガーほか,2002)という概念を中心に考察していきます。

 【第6回 組織変革と学習(1):知識創造論】で説明したとおり、1990年代以降、企業競争力の源泉としての“情報”や“知識”に対する関心が高まりを見せ、今日、「知識創造論」と呼ばれる研究が進められてきました。その一つの成果が、従来の経営学ではあまり注目されることのなかった“暗黙知”の経営的な意義や、組織的な活用の可能性を明らかにしたことにあります。しかしながら、“形式知”の存在を前提とした教育・研修方法の効果があまり期待できない“暗黙知”の創造・修得をどのように支援すべきかについては、「知識創造論」からは明確な解答が得られていません。

 この問題に答えるには、「ビジネス組織の中での学習プロセスは、学校の中での学習プロセスとどのように異なっているか」、「組織全体が新たな知を創造し、共有していくプロセスはどのように進んでいくのか」、「効果的な学習がおこる組織とおこらない組織の違いは何か」といったことを明らかにする必要があります。経営学において、このようなテーマに関する研究を行ってきたのが 「組織学習論」と呼ばれる分野です。

 Eastherby-Smith and Araujo (1999)によれば、「組織学習論」は1990年代以前にも存在しましたが、 理論的なレベルでの研究(例えば、桑田・田尾,1998:第14章を参照)が多く、実務家の関心はあまり高いものではありませんでした。この分野が注目を浴び出したのは、P.センゲ(1995)が「学習する組織(The Learning Organization)」という概念を提唱して以来のことです。P.センゲ(1995)は、組織全体で“知”を創造・共有し、所属メンバーが共同で創造的な問題解決を進める組織を「学習する組織」と呼び、具体的な企業の事例を挙げながら、実務家にもイメージしやすいかたちで「組織学習論」を展開していきました。

 これ以降、1990年代の「組織学習論」は、2つの方向で研究が進められていきました(Eastherby-Smith and Araujo, 1999)。第一の方向は、技法的視点(technical views)にたち、「学習する組織」の実現を支援するための“マネジメント・ツール”や、組織学習の実現度合いを測定する方法の開発を目指したものです。このアプローチでは、組織学習のプロセスはシステマチックに進行していくものであり、技術的な支援によって「学習する組織」は実現できると認識されてきました。(課題図書(1)がこれに該当します。)

 一方、ビジネス組織の中での学習プロセスはシステマチックに進行していくものではないという認識にもとづく研究もあります。社会的視点(social views)にたち、組織学習に対する文化・行動規範・政治力学などの影響を明らかにしていこうとする研究です。「組織内の政治的要因によって、組織内の学習がどのように妨げられているのか」や、「保守的な行動規範をもつ組織と、革新的な行動規範をもつ組織では、その学習成果がどのように異なってくるのか」といった点に注目して、組織学習のメカニズムを解明していこうとするのが、社会的視点(social views)からのアプローチによる「組織学習論」です。(課題図書(2)がこれに該当します。)

 では、1990年代以降の「組織学習論」に見られる2つのアプローチはどのように評価されてきたのでしょうか。その大きな功績は、“学習”という概念を経営学に浸透させたことにあると言えましょう。従来、人材開発論のみが研究対象としていた“学習”という活動は、今日、経営戦略論や組織行動論におけるキー概念のひとつとしても認識されています。

 しかし、「学習する組織」を実現する具体的方法については、両アプローチともある種の行き詰まりを見せていることも事実でしょう。技法的視点(technical views)からのアプローチについては、実務レベルで活用可能な多くの“ツール”が開発されてきたものの、組織文化・行動規範・政治力学といった社会的要因への対応は不十分なレベルに留まっています。一方、社会的視点(social views)からのアプローチについては、組織学習における社会的影響のメカニズムを解明してきたものの、「学習する組織」の実現に役立つような、実務的な手法の開発は不十分なレベルに留まっています。

 このような状況の中、近年、組織学習論における新たなアプローチとして注目を集めてきたのが「実践共同体(実践コミュニティ:Communities of Practice)」という概念です。【第7回 組織変革と学習(2):組織学習論】では、この「実践共同体」という考え方を中心に検討を進めます。認知科学の研究者であったE.ウェンガー(Wenger, 1998)によって提唱された「実践共同体」という概念は、技法的視点(technical views)と社会的視点(social views)の両アプローチの問題を克服するものとして注目されていますが、その評価は確立したものではありません。現時点での評価はあくまでも“期待”のレベルだと言うべきでしょう。そこで、この概念について批判的な考察を行い、可能性と問題点を探る。これが今回の学習のねらいです。

最終更新日時: 2022年 03月 25日(金曜日) 11:39