経験学習について、あまり意識していなかったため、単に経験すること、第一原理で示される応用の場として、捉えてきた。
経験を理論にあてはめず考えると、人間が何らかのことを成し遂げようとする原動力に、「褒められて動く」あるいは「否定されて動く」の2種類のタイプが挙げられる。
「褒めて育てる」ことの方が、心地よく素直に受け入れられることから、こちらが正しいように言われるが、本当にそうなのかと疑問を抱く場面は多い。
デューイの学習は「学習者の日常の生活経験の範囲内にある材料から引き出されるもの」とし、「学習者の反省的思考によって、学習者の内面で新たな考え方が形成され、獲得された新しい英検や考え方が、その語の経験の基礎としてつながっていくようなあり方」としている。対して、ボルノ―は「学習者自身を反省的思考によって学習者の内面で新たな考え方が形成され、獲得された新しい経験や考え方が、その後の経験の基礎としてつながっていくようなあり方」を理想とし、「経験」の概念を、「旅」「遍歴」「彷徨」、「苦痛」「忍耐」、「賭け」と定義している。
デューイが過程を語ったのに対して、ボルノーは経験とどのようなものかを定義している。それも、かなりマイナス思考による定義づけである。
必要は発明の母と言われるように、何らかの越えなければならないものがなければ、新たな方法は考えられないのであり、その超えなければならないものが、容認できないものであるからこそ、新たな方法をもって超えようとすると考える。
そう考えると、ボルノーが定義づける経験は「容認できない経験」と言えるかもしれない。
そう考えると「経験の名に値するものは皆期待を裏切っている。」と言う言葉は、的確なのだと思える。
それでも、苦痛に耐えながら乗り越えることのできる人間が全てではなく、多くの場合、その場に自分を合わせてしまうのかもしれない。
とすれば、学習の過程に乗り越えるに程よい高さの壁を作り、ほどほどの「彷徨」と「賭け」を用意し、「賭け」に勝つことができれば、その成功体験から、次の学習につながることが期待できる。それが、経験学習サイクルを効果的に回す事なのではないか。
そうした意味で、乗り越えることを嫌い甘んじることの無いよう、学習を支える環境が整っているかどうかがカギになると考える。
事例として、「上司が少し背伸びをさせてくれるタスクを課す」ことが紹介されているが、これは経験を「苦痛」まで高めず、「賭け」に勝たせてくれる範囲にとどめていると考えられる。
苦痛を受け入れられる度合は個々に異なることから、学習者に合わせてさじ加減をしながら経験をさせることのできるマネージャーの存在がまず必要となる。
ただし、そうしたマネージャーの存在だけではこの経験を通した学習は成功しないはずである。
現場レベルでの、経験することを受け入れてくれる環境が必要と考える。そのためには、チームビルディングも大切となるだろうし、組織のミッション・ビジョンの中での個々のスタッフの役割をスタッフ全員が理解していることも重要であると考える。
実際に、所属する企業において、研修をさせる余裕がないという事で、アクション・ラーニングやOJTが成功しない事例が多くみられている。
この課題を改善するためには、協力を求めることが重要と考えるが、その前にすべてのスタッフが互いに支えあい、協力の基に経験を積んでいることを実感できる職場環境となるよう、経験学習のサイクルを積み重ねる必要があると考えた。
最後に、経験学習行動に関する分析の結果(課題図書p114、図4-6~p118図4-12)に示される結果をみて、現在検討中の研修プログラムを改めて経験学習の理論を基に構成しなおしたいと考えた。
また、自組織での職種の違いによる検証を行ってみたいと考えた。
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